鬼無里(きなさ)の地区名の由来について
「鬼がいなくなった里」であることを物語る三つの異なる伝説があるのですが、もっとも有名なのが「鬼女紅葉伝説」です。平安時代、ゆえあって京の都から流刑にあった紅葉という女性が、都の文化を伝える一方で、人々の心を乱し、他村を荒らし、いつしか鬼女と呼ばれるようになりました。やがて朝廷の命で平維茂(たいらのこれもち)が紅葉を討伐したので、以来、この地は鬼の無い里「鬼無里(きなさ)」と呼ばれるようになりました。
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鬼女紅葉伝説(北向観音霊験記より)
清和天皇の御代 貞観8(866)年、奥州会津に大納言 伴善男の子孫に笹丸というものがあり、妻の菊世とささやかに暮らしていた。二人は子宝に恵まれなかったため、ついには第六天魔王に祈願した。その甲斐があり承平7(937)年に女子が生まれ、名を呉葉と名づけた。生まれつき利発で成長するに従い教養を身につけ、琴を弾き、その美貌とともに評判になっていった。
近隣の若者の中には想いを寄せる者も多く、豪農の息子源吉などは恋焦がれて床についてしまった。源吉の親は笹丸一家に支度金を渡して、強引に縁組を迫った。困った笹丸が途方に暮れていると、呉葉が天を仰ぎ呪文を唱えた。すると呉葉に瓜二つの女が現れた。呉葉はこれを身代わりに嫁がせればよいと言う。笹丸はこれは天の恵みとその通りにして、支度金を持って家名復活の為に家族で都へ上っていった。身代わりとも知らず源吉は幸せな日々を送っていたがある日、蜘蛛の巣を払っていた妻が突然蜘蛛の糸をつかんだままするすると天に上っていったしまった。あとをどう探しても妻は見つからなかった。
天暦7(953)年、都に着いた笹丸は伍輔、菊世は花田、呉葉は紅葉にと名を改めて、四条通りに住んだ。毎日琴を弾きその美しい音色と紅葉の美貌で噂は都に広まっていった。ある日、夜涼みに来た貴族の奥方が琴の音色に惹かれ、紅葉を自分の侍女にと申し出てきた。仕えることになった奥方は右大臣、源経基公の御台所だった。紅葉は琴の名手としてだけでなくその才智で局となり、侍女たちを取り仕切ることになった。
やがて紅葉は経基公の目に止まり、寵愛を受けるようになった。その頃、御台所は急に病に伏すようになった。家来衆が快方に向かうように祈願していると、御台所の病は紅葉の呪いのせいだという噂が立ち始めてきた。紅葉は嫉妬から御台所暗殺の疑いをかけられ、捕らえられてしまう。経基公は哀れを感じて都を追放することで事を収め、紅葉一家はえん罪で奥信濃に流されることになった。悲しみに暮れる紅葉の体には経基公の御種が宿っていた。
天暦10(956)年、一家は信濃の国は戸隠の奥深くにたどり着く。秋も深まり辺りの山々は紅葉に染まっていた。近くの里(鬼無里)に仮住まいを設け暮らしていると、都から流されてきた姫君と言うことが噂になり、その美貌や振る舞いなどが里のものたちを憧れににも似た気持ちにさせた。紅葉は里のものたちに薬草から薬を作って与えたり、文字書きを教えたり、都の話を聞かせたりと楽しく過ごすようになる。里のものたちは館(鬼無里の根上地区 内裏屋敷)を造って敬愛した。
穏やかな生活の中で、やがて経基公の血を引く男子が生まれ、一字を取って「経若丸」と名付けた。しかし都での優雅な暮らしを思うと、鄙びた山里での暮らしは侘びしく感じ、そんな思いから内裏屋敷から東の方を東京、西の方を西京と呼び、他にも加茂、春日、清水、二条、三条、四条、五条などの地名を付けて都を偲んだ。
経若丸が成長するに従い、紅葉は再び都に上り、経基公に我が子を逢わせてやりたいと願うようになり、その為には軍資金が必要と考え、夜になると変装して妖術を使い近隣の村々で盗みを働くようになっていった。次第に悪事を重ねるようになっていく紅葉に北信一帯を荒らしまわっていた鬼武という名の盗賊が近づき、自分の手下になれと迫ってきたが、紅葉の妖術に屈して配下となった。そうして悪名が流れ出すと内裏屋敷には居づらくなり、紅葉たちは戸隠の荒倉山の麓の岩屋に移り住んで勢力を広げていった。
父の伍輔が亡くなるころには、紅葉一党の名は更に高まり、「戸隠の岩屋に鬼女が住み、村々を襲っている」と噂になった。その噂は「鬼女が都に攻め上って来る」と都にまで伝えられた。朝廷は盗賊退治の命を信濃守 余吾将軍 平維茂に与えた。維茂は250騎の手勢をつれて戸隠に攻め込んだ。母の花田は紅葉に降伏するようにいさめたが聞き入れてもらえずに自害をして果てた。維茂は塩田平(上田市塩田)に集結、150騎を引き連れて北上。千曲川、犀川を渡って笹平(長野市七二会)に陣を取った。紅葉の手勢は約200人。たかが盗賊と攻めかかってきた維茂軍に妖術をかける。すると天にわかにかき曇り、雷鳴がとどろき、烈風山を動かし、川瀬激しくなり、あわてふためく維茂軍は50騎以上を失い一旦退却した。
維茂は紅葉の妖術を破るには、神仏の力にすがるしかないと別所北向観音に17日間参籠し祈願をした。その満願の夜に夢枕に老僧が現れ、維茂の手を取り白雲に乗せて紅葉の住む岩屋の場所を示し、一振りの短剣を授けた。夢から覚めた維茂は、これぞ降魔の剣、観音様の加護に違いないと奮い立ち兵を整えて出陣した。
紅葉勢は先の勝ち戦で毎夜毎夜の祝い酒。また攻められようとも妖術で蹴散らせてくれるとの奢りがあった。やがて維茂軍が近づいてきた時にも紅葉は笑いながら、妖術をかけた。だがどうしたことか敵に術はかからないし、味方は次第に倒されてゆく。やがて体は震え目がくらむ。見ると敵の大将が持っている剣にすさまじい霊力が宿っている。体制を立て直そうとしたが時すでに遅く維茂軍に押され、経若丸も討たれてしまう。
愛しい我が子の死に、怒り狂った紅葉の形相すさまじく火炎をまとって空中を飛び回った。維茂すかさず短剣を矢につがえると紅葉めがけて放った。矢は紅葉の体を射抜き紅葉は地面にばたりと落ちた。気勢衰えたと見て維茂配下の金剛太郎が渾身の一刀を浴びせた。金剛太郎の腕をつかむ紅葉に維茂は最後の一太刀をつけ首をはねた。時は安和2(969)年10月25日、紅葉は33歳の若さで命を落とす。山々はその悲しみを映すように深紅に染まっていた。
The Story of Kijo-Momiji
Long time ago, there were an old couple. They prayed to the spirit in the heaven for giving them a baby. And they had a girl, who was named Kureha. She was so beautiful and clever. When she came of age, her family moved to Kyoto and opened a shop. Kureha changed her name to Momiji and started practicing the Koto (a Japanese harp).
One day, lord Minamoto-no-Tsunemoto and his wife heared Momiji’s playing Koto and invited her to their home. Her beauty fascinated Tsunemoto. They began to love each other and Momiji got pregnant. She wanted his love all to herself and tried to kill his wife. However, it was not succeeded. She was arrested and banished from Kyoto to Minase in Shinano, Nagano prefecture.
When she arrived at Minase village, she told people that she was banished because Tsunemoto’s wife felt jealous of her. People felt sorry and built a house for her. She was pleased and used her witchcraft for giving a cure to the sick people in the village.Still, she missed Kyoto so much and she named neighbor villages as same as Kyoto, such as Higashikyo, Nishikyo, Nijo and Sanjo.
Momiji had a baby boy and she wanted her son to see Tsunemoto. In order to make money for going back to Kyoto, she robbed and took money for many villages by force. Her criminal act came to the Emperor’s notice. The Emperor gave a command and let General Taira-no-Koremochi attack her.
The war began. However, because of Momiji’s witchcraft, Koremochi’s army were made themselves powerless. Koremochi prayed to the god for help and was given a sword The sword made her magical powor ineffective. She got on a cloud and running away. Koremochi released the sword from a bow. It stuck in her chest and she died. She was 33 years old. It was a very beautiful day in autumn.
After that, people began to call this village “Kinasa” , which means a village without evil spirit. (from a folktale in Kinasa)
(Prepared by Kinasa furusato museum)